2021.04.26 Monday
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高江に行って
私たちは「高江」に新しくヘリパッドができるということをどう考えたらよいのでしょうか。やんばるの美しい森にヘリパッドが作られ、住民の生活が脅かされ、自然が壊される。そしてそこには住民の人が大事にしてきた反対運動のやり方がある。肩から上に腕をあげない。言葉の暴力も含めて非暴力。機動隊員と対決しているわけではなく、社会・国家と向き合う。社会の構成員の一人として、目の前の機動隊員を説得する。私が高江に数日間滞在したときにある住民の方聞いたのはそんな話でした。
私は何かよいことをしてあげるために、かわいそうな住民を助けてあげるために沖縄のことを考えるわけではありません。先の住民の方への言葉にどう応えるのか。私たちのあり方がそこで問われているのだと思います。「本土」や「沖縄」で奪われてきた声にどう応えるのかということが。
数日間や数ヵ月間滞在しては去っていく私たちは、これからもずっと高江で続いていく運動や生活に責任がとれるわけではありません。だからこそ、自分たちの場所でどう高江の問題に応えて運動を作っていけるかが大切なのだと思います。私はこれからどうしよう。あなたはこれからどうしますか。