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ほんとうに暑い日だった。6月19日の沖縄。
『元海兵隊員による残虐な蛮行を糾弾! 被害者を追悼し、海兵隊の撤退を求める県民大会』
那覇の奥武山陸上競技場に6万5千人が集まった。古謝美佐子さんの唄う『童神』は、これ以上無いと思えるほど開会に相応しかった。弔意をこめた長い黙祷。被害女性のご遺族からの悲哀に満ちたメッセージ。登壇者のみなさんから心を揺さぶられるあいさつが続く。これで何度目になるのだろうか、深い深い悲しみ、内に秘めた怒り、といった沖縄の思いは、今一度世に放たれた。そして、もうひとつ、登壇者の口から何度も語られたのは自責の念だった。命の尊厳と、生きる権利を守れなかった、その責任の小さな一端はこの社会を形作っている私たち全てに有ると。
玉城愛さんは、「家族や自分のことを大切にしてくれる人々と生きてはいるが、全く幸せではない」と、スピーチの中で語った。彼女はこの社会の被害者であり、また同時に加害者の側面をも持つ自己と向き合い、もがき苦しみながらも前へ進もうとしている。
事件を政治利用するなという声が一部から聞こえてくるが、見当違いも甚だしい。命の尊厳と生きる権利を守る事こそが、民主主義における政治の中心的な役割である。「このような悲劇をもう二度と繰り返さない」という人々の思いに応えなければ、それは政治の名に値しない。そして、その政治を動かすのは政治家ではなく、主権者である私たち全てである。これは自分たちの生きる社会を選び取る権利であり、その社会を次世代へ手渡す者としての責務である。それを示すために、人々はあの場に集まった。沖縄の思いは世に放たれた。
海兵隊の撤退や日米地位協定の抜本的な改革は、沖縄だけで成し遂げられるものではない。沖縄の思いにどう応えるのか、本土の私たちの覚悟を示す番だ。沖縄を孤立させることがあってはならない。
この闘いは誰の闘いなのか?
この痛みは誰の痛みなのか?
彼女と一緒に殺されたのは、私たち全ての生きる権利であり、殺したのは私たちの社会だ。沖縄はまるで孤軍奮闘を強いられたゴールキーパーのようだ。他の選手は何処に行った?「沖縄頑張れ!」と声援を送っているあなたも、我関せずのあなたも、同じユニフォームを着てグランドに立っている、チームの一員であることに気づくべきだ。
今すぐ、それぞれのポジションで出来ることをしよう。この闘いの行方が決まるまでに、私たちに残された時間は、そう長くはない。