2021.04.26 Monday
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高江の日常
これから6月いっぱいまで、高江は比較的ホッとできる時期を迎える。ほんの少し前までの24時間体制を思うと、ウグイスの鳴き声に耳を傾けながらのんびりとコーヒーを淹れていられることが夢のようだ。機材や重機、作業員が寝泊まりしていたと思われるプレハブ等の搬出も終わり、工事が進められる心配も当分はないため、メインゲートを見張る私達にも緊張感はさほどない。しかし、住民の会のメンバーには、休む暇などない。県内各地、全国各地からやって来る支援者・見学者のため、1年365日、誰か1人は当番として座り込みテントにいなければならないからだ。住民達にもそれぞれ仕事がある。子育てや介護も抱えている。会社勤めなら有休も使えようが、多くが自営業の彼らが当番を務めることは、その分収入が減ること を意味する。決して多くはない人数でなんとか回しているが、各自の精神的・身体的負担は相当なものだろう。毎日毎日、1日中気を張っていなければならない のだから、たまの休みに訪れる私などには想像も及ばない苦労を強いられているはずだ。それでも映画「標的の村」のヒットで舞台挨拶にトークにと飛び回る。ヘリパッド建設を止めたい一心で。1人でも多くの人に伝えるために。加えてメール対応、様々な要請行動、内外からの支援者の受け入れ、署名の取りまとめ、各種陳情、ブログ更新、毎週遅くまでのミーティング…これら全てが、一銭の得にもならない彼らの『日常』なのだ。なぜこれほどまでに負担を強いられ続けなければならないのか。たまたま高江に住んでいた。ただそれだけの理由で。「こんなに多くの人が来てくれているのに、なぜ肝心の住民が来ないのか」そんな声もあると聞く。たまたま高江に住んでいた。ただそれだけなのに。家の近くに、大量殺戮のための施設が作られようとしているのは、彼らの責任なのか?日々の生活に闘いをねじ込む権利が、誰にあるというのだ?私達が押し付けてしまっていることの責任を、そこに住む人達の『日常』にしてしまって、いいわけがない。ほんの1日だけでも、彼らが『自分達のための日常』を送る助けになれるのなら。私は高江に行く。 C. Y