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ハギハラカズヤ
沖縄の負担を軽減するというマニフェストを民主党が撤回してから、沖縄では怒りの声があがっている。戦後65年間も基地を押し付けられてきたうえに、また新たな基地が建設されるというのは、どう考えたっておかしい。これは沖縄に対する差別ではないかという声が発せられているのだ。
ぼくたちは、この問題をいったいどう考えればいいのだろう。たとえば沖縄に住んでいないし、自分には関係ないという態度は、間違っている。そうやってぼくたちが真剣に考えてこなかったツケが、結局沖縄を苦しめてきたからだ。ぼくは、いま、京都の街角でこのチラシを受け取ったあなたに、もっともっと真剣に考えて欲しいし、一緒に答えを見つけ出したいと願っている。
「本土移設」論という主張を聞いたことがあるだろうか。国の防衛のために米軍が必要だというのなら、必要だという人がその負担を受け持つべきだという主張である。米軍は必要だと考える人は、本土には多い。それなら沖縄ではなく、本土が米軍基地を受け入れればいいではないか。「本土移設」論は、沖縄に基地を押し付けてきたぼくたち本土の人間の「本気度」を問うているのだ。
あなたなら、「本土移設」論をどう考えるだろうか。沖縄の負担や苦しみを少しでもなくすためには、やっぱり基地は本土に移すべきだろうか。実はいま、この問題を京都の二条駅前にあるカフェで議論するイベントが毎月のように開催されている。イベントに集まる人のなかには、米軍基地は本土が責任を持って引き取るべきだという賛成派の人もいる。でも、ぼくはこの「本土移設」論には反対の立場だ。米軍基地をどこか別の場所に移すのではなくて、完全に撤去すべきだと思うからだ。
沖縄の米軍基地は、日本の防衛よりもアメリカの戦争のために使われてきた歴史がある。朝鮮戦争から始まり、ベトナム戦争、イラク戦争、アフガニスタン戦争と、沖縄から戦場へと絶えることなく派兵されてきた。米軍が守ってきたのは、日本や沖縄の人の平和ではなく、アメリカ自身の利益だった。実際は平和を壊す部隊だったというべきだろう。だからこそ、米軍は核兵器や劣化ウラン弾を沖縄に持ち込み、特殊訓練をしたり、やりたい放題してきたのである。その米軍基地を沖縄から本土に移したとき、はたして本当に戦場で苦しむ人たちが笑顔になれるのだろうかと思う。いやなれないだろう。
ぼくたちは、米軍が世界中で戦争を繰り返すことを止めないといけない。そのためには、沖縄の米軍基地は、撤去する以外にないと思う。そして、日本の自衛隊が米軍と協力して戦争をしないように、声をあげなければいけないと思う。
米軍基地はいらない。その言葉を、ぼくたちは責任を持って訴えなければいけないのではないか。
このチラシを読んでくれたあなたは、この問題をどう考えるだろう。